演題「コトリの健康から考える」
講師 佐々木健
おはようございます。今日は食と眠りについて「なんぞや」と考えてみたいと思います。
季節は流れ小満です。朝に開け放った窓からホーホケキョ(♪)とコトリの声が部屋に響いてきます。ウグイスです。今日は天気予報では蒸し暑そうですが朝のさえずりは爽やかで風流です。元気な鳴き声に今日もコトリは元気で健康なだあと嬉しくなります。きっと天はコトリのために健康づくりの秘訣を授けてコトリはそれを受け入れているのでしょうが、一方では生物学的に私たちヒトと共通する事もあります。先ずはよく食べ、よく眠り、気持ちよく鳴く(歌う、話す)、こういう事は同じでしょう。
私は今年の小満に現れたウグイスにPちゃんと名づけました。Pちゃんは四六時中鳴いてはいません。時々鳴きます。一鳴き目からちょっと「ま」をおいてから二鳴き目が来ます。この「ま」がまたいいのです。Pちゃんは鳴きに「ま」がある。この「ま」も芸術です。ところが三鳴き目が来ません。2回で終わりかな。何か用事かな。あるいは最初はオスで次はメスが鳴き交わしたのかな。などと考えを廻らしますが、実は私が勝手に妄想し「風流だ~」なんて言ってるだけなのです。そもそも鳴くのはオスだけですからPちゃんはオスです(人間界にはウグイス嬢もいますが…)。生物学的には他のオスに縄張りを主張する行動で、究極的にはメスに求愛する行動なのです。
しかしながら、私は見事なホーホケキョ(♪)を聴くと、やはり「風流だなぁ」と感慨に浸ります。生物学的な現実の説明は置いときます。短いさえずりなのですが、一瞬、日常のしがらみから解放され気分は反転します。雲が晴れて陽光が燦々と降り注ぐ感じです。また片思いながらPちゃんの声は私に愛しさを感じさせます。時にさえずりが弱々しく響いてくると、人ごと、いや鳥ごとながら心配です。「ちゃんと食べて眠っているかな」などと思い元気を祈ります。
冒頭で①よく食べ、②よく眠り、③よく鳴くというコトリの健康生活にくちばしを突っ込み勝手なことを口走りましたが、生物学的にはヒトのあなたや私もこの食眠鳴の3つのステージをこの順番で同じように過ごしています。そして「よく鳴く」の求愛行動は人でも愛を歌い、愛を語りますから同じではないでしょうか。3つのステージはあたかも生命の気力を食と睡眠で高め究極的には愛に向かって流れているかのようです。この「愛」に向かう食眠鳴の3つのライフステージを勝手ではありますが、愛に向かう生命のイメージを込めて「サンステージ」と呼んでみました。安直ですがお日さま燦々とSUNと3をかけて「サンステージ」です。東洋医学的には気が流れる3段階とも言えます。食は愛のため、眠は愛のため、そして鳴も愛のためです。「食とはなんぞや」「眠とはなんぞや」と問われれば私は「単に健康を維持するためのもの」を超えて「愛に向かう生命の基盤としての健康を維持するためのもの」と答えておきましょう。
医学的には食眠鳴は健康や病気に影響します。私たちがついつい食べ過ぎてしまうのは、眠りを求め、究極的には愛を求めるからなのでしょうか。食と睡眠の問題の背景には愛が関わっているのかもしれません。また、東洋医学では健康は食を、身体で言えばお腹を基盤に考えます。五行思想では中心に消化器系の機能を持つ脾をすえています。医食同源という言葉もあります。しかし、生命にとっては(人生においても)食べることや健康維持が究極目標ではありません。各ステージを安寧に保つ理由は愛に至る流れがあるからです。コトリもヒトも健康に食べ、健康に眠り、健康に鳴く(歌う、話す)。また、健康とは自らに授けられ受け入れるものです。食を受け入れ、眠りを受け入れ、そして愛を歌い愛を語る。こうした人生はどうでしょうか。こんな普通に憧れます。
コトリの人生いや鳥生に、そしてあなたの人生に幸あれ! (終わり)
〇2021.5.4
【コロナ時代のコトリ論】
鍼灸マッサージ師 佐々木健
体調が悪いことが睡眠中に夢を多く見させるのでしょうか。私は昨日も今日も夢が突
然に途切れて布団の中の現実に目覚め戻りました。今日朝方の夢舞台は連休中なのに職
場で学生と教員の複雑な揉め事にかかわっていました。いやはやお休みなのに仕事をし
ています。
今朝のこの夢の経験から発見したことがあります。
【私なりの仮説の発見あり】
人は定期的に孤独感が生じてきます。必要なのです。こんな心情のように、夢も必要
が生じてみるものなのでしょう。
【ここで想定される結論】
心情も夢もコントロールするものではありません。自分を流れていくものとして観察
しましょう。
人は孤独に苛まされると自分でも分かっているのでしょうが「子供がえり現象」がみ
られます。お菓子を食べ出したり、周囲の大人に無理や道理をわざとお話ししていたり
します。ないものねだりもします。まるで小鳥が自分のとまる小枝を揺らして「のって
も大丈夫、折れないかな」と試したり「素敵な枝はない!」と結論づけて飛んでいるか
のようです。
『ピーナッツ』の作者チャールズ・モンロー・シュルツは心理学者ではありませんが
人の心と行いのことを良く分かっていた人だと感心します。先の小鳥はウッドストック
に象徴されているようにも感じます。小鳥(ウッドストック)は俯瞰の象徴でもありま
す。
心情を海に例えてみます。誰でも愛着のさざ波が立つ時があり、心情は海の潮の満ち
引きのように定期的に変化をみます。客観的に説明すると、さざ波は風(=空)が、風は
太陽の熱が、潮の満ち引きは月の引力が起こしている現象なのですが、主観的には海が
自ら起こしている現象ように感じます。海は空と月と太陽の他力によって波うち動きま
す。このように実は心情も気と陰と陽の他力によって波うち動くのです。
『ピーナッツ』の登場人物たちも時に「ないものねだり」を、しかしその後に「ある
もの探し」を始めます。そして老子のように「足るを知る」ことをつぶやきます。ウッ
ドストックは存在しない青い鳥ではありません。そこらあたりにいる黄色い鳥です。「
幸せねだり」の象徴ではなく「希望探し」の象徴のように感じます。
あるもの探しこそは学習目標です。小学校でも社会見学として街中探検にいきます。
さあ、この時代、テイクアウト探検に行きましょう。